高橋光さん

みつプロダクションの高橋さんに会った。多分亡くなる少し前の映像。
詳しい事情は知らないが、みつさんは2002年6月22日に55歳で亡くなった。そのみつさんに、数日前出会った。

放送大学の徳丸吉彦先生の講義(芸術文化政策 I)には関心をもっていたが、見るチャンスがなかった。それがちょっとしたきっかけから集中放送されていることを知り、たまたま時間が空いていたので見始め、見られない日には録画をするようになった。そして第10回、少数民族に関する芸術文化政策というテーマの日に、大阪大学の山口修先生とみつさんはゲストとして登場し、芸能を映像化するときの問題点などについて話していた。

実際のみつさんとの出会いは、25年以上も前にさかのぼる。私はまだ就職したての1年生だった。その日、何故みつさんが私の職場に来ていたのかも忘れたが、台風が近づいていて、昼食後には帰宅してよいということになった。遠距離通勤だった私達(といっても、他に誰がいたのか正確には覚えていないが)は、わけもわからず都心へ帰るみつさんの車に乗せられた。あの日のことはみつさんにとっても忘れられないことだったようだ。なぜなら、私達の職場の周りは排水が悪く、どこを通っても深い水溜りを通らなければならない。そのため彼は、ブレーキの利きが悪くなった車で、若い女性たちを送らなければならなくなったのだ。途中で同乗者は降りたのだが、私が利用する私鉄の駅は通らないため、私ひとりみつさんのオフィスまで行くことになり、台風一過の夕焼けの中を広尾から横浜の自宅へ帰った。

その後も音楽映像研究会に誘われ(私はすぐにやめてしまった)たり、仕事をお願いすることになったりと、時々お会いすることがあった。一度渋谷の西武デパートで偶然出会ったこともある。後で知ったことだが、みつさんは私の夫の、高校のクラブの先輩でもあった。また上司の友達であったため職場で電話を取り次ぐこともあり、上司が不在の時には近況を話したりもしていた。

ダルシマーを始めてまだ間もない頃、そうした電話でダルシマーのことを話す機会があった。さすがに民俗芸能の映像をたくさん撮ってきた人だけあって、すぐにどういう楽器かを理解し、その時だったかその後だったか、みつプロダクションで制作したシブクマール・シャルマというインドのダルシマー(サントゥール)奏者の映像があることを私に思い出させてくれた。「高橋光則(本名です)」と書いた年賀状をくださったこともあった。

ダルシマーに関わることはこの最後の1段落だけ。でも、みつさんのことは書いておきたかった。
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by yt-aoki | 2005-03-12 01:41 | 音楽 | Comments(0)
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