またひとり、友が逝った

ダルシマーを始めてから、そして特にこの1、2年仕事を辞めてから、離れていた人たちと再会するようになった。また、仕事をしていたときには顔見知り程度だった人と、メールのやり取りをするような関係に発展することもある。
ダルシマーは私と人をつないでくれている。

そんな関係で今、中学・高校時代のクラスメートの合唱練習につきあっている。そこでの私は昔と同じ、伴奏ピアニスト。その練習会で、アメリカに暮らす友の死を知らされた。彼女ともまた、ダルシマーが縁でメールを交わすようになっていたのだ。

1年遅れで彼女と同じ大学の同じ学科に入ったので、大学時代もあまり会うことはなく、卒業後の消息も知らなかった。それが2001年の夏、Dulcimer Players Newsに私の
Sakuraの楽譜が掲載されたとき、友人の一人がアメリカにいる彼女に知らせてくれた。そして彼女から、記事を読んだ、自宅にあったマウンテン・ダルシマーで弾いてみたとメールが来た。そのメールで初めて彼女が1992年に「笙の手移りの実際」という修士論文でUCLAを出、その後民族音楽学からは離れていたが、近年になってGarland World
Music Encyclopedia 「東アジア編」の編纂に関わるようになったことをなどを知ったのだ。そしてその年の冬、お嬢さんを連れて一時帰国した彼女と再会。飼っているという、りりしいウサギの写真を見せてくれた。

その直後、たまたま仕事で古書を買ったアメリカの古書店の店主が、以前UCLAの図書館司書をしていたとわかったので彼女に知らせたところ、とてもよく知っている人で思わず電話をしたというメールもあった。

そして2年前、退職を知らせるメールを送ったところ、懐かしく思いCD付きのハンマー・ダルシマーの楽譜集を買ってきて聞いてみた。なかなかチャーミング。もし持っていなかったらプレゼントすると楽譜を送ってくれた。そのときのメールに「2年ほど前に体調をくずし」とあったが、その頃癌の手術をしたのだろう。

たった6通の彼女からのメールを読み返し、今になって、音楽の仕事をしていたのならその仕事ぶりがわかるのではないかと<Miri Park Ethnomusicology>で検索してみれば、確かに、ロサンゼルスの雅楽グループで笙を吹いていたこと、Ethnomusicology誌の記事などがみつかる。

一度音楽から離れ(一時は飛行機の切符を売っていたと書いてあった)、それでもなんとなく音楽学周辺の情報は入ってきて、また少し音楽に近づく。私と彼女は音楽との距離感という点で、似たようなところがあったのかもしれない。

3月21日に舞台で讃美歌を歌うグループは、もう一人の亡き友ドリちゃんの遺品のトーンチャイムを演奏する。きっとドリちゃんは聞いてくれると思っているが、病んだ肉体から離れたみりちゃんも日本に来られるね。みりちゃん、私達の音楽を聞いてね。
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by yt-aoki | 2009-03-19 13:51 | Comments(1)
Commented by yt-aoki at 2009-08-25 17:19
ご遺族から、Miriへのお気持ちはロサンゼルス動物園へとのご希望で、5月30日に横浜で開かれた偲ぶ会で集まったものと関係者からの寄付が合わせて贈られました。ご遺族に対し動物園からお礼にFennec Foxの命名権が与えられ、ご主人とお嬢さんはTomo(友)という名を選んだそうです。
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