メリー・チューン

メリー・チューンの木下さんと初めて会ったのは、2002年のこと。
彼女はどうやってそれを持ってこられたのかと不思議に思うほど大きく重い手作りの木箱にダルシマーを入れて、それを持って一人東京にやってきた。関西で2人の方に習ったようだが、他に仲間がいなかったため不安に駆られ、とにかく沢山の演奏家がいる(と思ってしまった)東京に行かなければと思ったらしい。

そのきっかけになったのが、工房ミネハラのサイトに掲載されたハートストリングスの写真だったとは、そのときは知らなかった。

そのときの彼女は木箱を持って東京を横断した。
羽田から東京西部にある私の勤務先、埼玉県の岩村沢也先生の勤務先、そこから岩村先生の車で私の自宅へ来て、幕張のホテルへ。翌日は、当時日本打弦楽器協会会長であった八木秀夫さんの自宅へ。私も八木さんの家へ一緒に行かせていただいたが、彼女を地下鉄の駅まで送り届けた八木さんも、木箱の重さに参っていた。彼女は何人かの仲間に会って、ようやく安心して帰って行った。彼女のレパートリーも奏法も、私たちとそれほど変わらなかったのだ。

すでにその時点で、メリー・チューンは、ハープやリコーダーとダルシマーというデュオで活動をしていた。もともと歌のお姉さんとピアノ伴奏者であったのだそうだ。

2005年にメリー・ストリングスというダルシマー・デュオを始めてから、彼らの活動についてはいろいろ聞いていた。絵本のコンサートも評判が良いようで、そのレパートリー・リストや、映像を見せてもらったこともある。そのうちに、私もハープとのデュオを始めた。

そして今回初めて、生のメリー・チューンを見た。
同じハープとダルシマーのデュオでありながら、何と違うこと!
見た目(ドレスや楽器の大きさ)ということだけではない。キャリアの違いでもない。生み出される音楽が違うのだ。同じようなレパートリーもあるはずなのに、こんなにも違うんだと、思い知らされた。

私たちサウス・ウィンドは、そもそも楽器の選択からして違う。大きい楽器も知っているが、あえて持ち運べる小さい楽器を選んでいる。まず、自分が楽しむために、そして、小さい、音域が狭い、という制限の中でもできることを探るために。それは制約のある中で、それでも美しい音楽が作れると思い、それを証明するためでもある。弾きたい曲に合わせて楽器を大きくするのではなく、曲の方を楽器に合わせている。

そしてつくづく、生み出される音楽はすべてその人の中にあり、その人が望む形なのだと思った。メロディーにつける和声の選択もリズム感も、他の人にどう感じられようが、その人にとって心地よいものなのだ。音楽はすべてそうやって作られる。

普通のピアノのレッスンのように、楽譜だけを使っていては、こんなことには気づかないのかもしれない。誰かがつけたコードネームだけで伴奏をつけていては、わからないのかもしれない。けれど私たちのする音楽は、メロディーが共通であったとしても、伴奏を自分たちで作っているから、そんなことに思い当たる。たとえそれが共感を得られないとしても、私たちは、自分が心地よいと思うものしか作れないのだ。

個性の違い。そんな簡単な言葉では済まされないような大きなものを感じた。
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by yt-aoki | 2010-07-21 18:36 | ハンマー・ダルシマー | Comments(1)
Commented by 小松崎健 at 2010-07-22 05:45 x
とてもよく解るお話しです。僕は殆ど楽譜が読めず、音楽の知識も乏しいので、これで良いのだろうか、と悩むことばかりでしたが、最近は自分が心地良く感じるなら、それで良しとしています。
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