musizieren(ムジツィーレン)  音楽すること

今年の「GRUPPE 和」、連絡のメールが届いていなかったこともあって、詳細を知ったのが3月に入ってからだった。ハープとのデュオも、ダルシマー・デュオも、時間的に無理があり、ソロで演奏する適当な曲が思いつかなかったこともあってお断りをしようかと思った。

ところが、そのメールを書きながら手が止まる。クラシックの歌やピアノ、時にジャズやオリジナル曲の演奏がある中で、ダルシマーを弾くようになって今年は4年目。楽しみにしてくださる方もあるというのに、自信がないからと取りやめてしまってよいものか。直前にもらった友人からの電話で、ぜんぜん別の話をしていたにもかかわらず、彼女がこれまで3回のコンサートを「やってよかったよ」と何度も繰り返したその言葉が妙に心に残る。毎週カフェで、ほぼ1時間の演奏をしているのに、レパートリーがないというのも変な話。そしてメールは、私の逡巡を素直に書いたあと、最終的にいつも弾いている2曲と昔から知っている1曲の3曲で参加すると結ばれた。

「GRUPPE 和」は、私にとっては一番選曲に気を使い、質を高めなければならないと思う場。それはたとえ4年間といえど、お世話になった音大の先生が主催される会であるので、当然といえば当然のこと。けれど先生は、音大の成績とは別世界で、もっと素直に音楽すること、様々な音楽を楽しむ場を作ろうとしていらしたのだ。それは以前から知っていたけれど、リストやショパンといった巨匠の大曲の中で、音量の小さな楽器で民謡や世俗舞曲を演奏する身としては、それを気にするなと言っても難しいことだ。

そんな中、ちょっとしたことが、私にあることを気づかせてくれた。それは、ある人のピアノ演奏だった。以前聞いたとき、上手だと思っていた人のその演奏は「もしかしてこの曲を理解してない?」というものだったのだ。ちょっと有名な曲、だけど、どのように構成されているのか、理解することが難しいかもしれない曲。
「惜しいなあ、理解できてないと伝わらない」

では私に理解できるのかと弾いたことのない楽譜を読んでみたが、もちろん普段ピアノを弾いてない私にはすぐに弾くことができないけれど、ここはちょっと悲しくて、このフレーズは小節数が半端だけれどここまでがつながっていて、そしてこのフレーズが繰り返されてたたみかけてくるなどと構成ができてくる。指は動かないけれど、頭の中で理解したとおりに曲は鳴ってくれるのだ。それは今回「GRUPPE 和」で演奏しようとしている曲と同じだった。自分でアレンジしたのではないその曲は大作曲家の作品に比べたら単純だが、私の中では鳴り響くメロディーにからむ低音の強さや、繰り返されるメロディーが2度目には小さくなることが、私の中では構築されているのだった。私が理解していることは、伝わる?

当日、会場へ向かう電車の中で考えた。
音楽することは、世界観や美意識を提示すること。それは、毎日着る服を選ぶことと同じなのかもしれない。そして音楽することには、提示されたものを受け取ることも含まれる。私の世界観や美意識は、趣味に合わないという人がいるかもしれないけれど、共感してもらえる可能性もある。複雑でたくさんの音が発せられる中で、小さくて単純でも心地よい音となるかもしれないのだ。そう思ったとき初めて私は、前後の演奏を気にすることなく、私の世界を表現するという覚悟ができたような気がする。

「GRUPPE 和」を紹介するのに私は「小池和子のもとに集う音楽人による」という表現を
使った。演奏するのは、普段から演奏や音楽を教えることを仕事にしている人だけでなく、趣味で弾いている人も含まれる。そういう人たちが一緒になってmusizieren、音楽する場を作るのがこの会。それで「音楽人」という言葉を使ったのだが、先生はそれを気に入って以後使ってくださっている。そしてこの会では、プログラムに演奏者の紹介がない。音大を出ているとか出ていないとか、コンクールに入ったとか有名な演奏家と共演したとか、あるいはどこで教えているとか、そんなキャリアや肩書きのつかない名前一つでお客様の前に立つ。「私は他の方と違って、趣味ですから」などと言い訳することはできない。みな平等に自分の音楽と向き合い、最高の表現をしなければならない。

そしてmusizierenがコンサートという形式をとる場合、それを成り立たせているのは演奏者と聴衆だけでなく、それを進行させてくれるたくさんの裏方も必要だということを痛感した。ピアノの調律師さんは調律だけでなく、楽器の移動や、ピアノの蓋の開け閉めまでしてくださった。受付、ベルを鳴らしたり照明の操作をする人、アナウンスをする人。今回のホールは貸しホールに必ずいるスタッフがいないため、またチャリティのバザーをしたため、いつもより多くのスタッフが必要だった。「GRUPPE 和」には、毎回裏方として来てくださっている方もいるが、いつもの演奏者で今年は出演せず、スタッフとして来てくださった方もいた。普段演奏する側にいる方は、状況をよくわかっているので、スムーズにことを運んでくださる。そういう人たちがいなけれが、コンサートにならない。

ここに何度も書いたmusizierenという言葉。ドイツ語の動詞で辞書を引けば「音楽を奏する」と訳されるが、私には「音楽する」という方がすっきりする。そしてmusizierenは単に演奏するだけでなく、聴いて楽しむことも含むし、その音楽の背景について調べたり紹介することも含まれているように思う。私には学生時代から馴染みのある言葉だったし、先生はドイツで学ばれたのでこの言葉を使われることに何の疑問も持たなかったが、ある時この言葉を説明する先生の口から有馬大五郎先生の名が出た。私が学んでいた当時の学長。直接教えていただくことはなかったが、私にとってもmusizierenという言葉は、有馬先生に由来しているような気がする。

遠い昔、学生祭の前日、野外ステージでのジャズのリハーサルを、一人パイプ椅子に
座って楽しそうに聴いていた有馬先生の姿が印象に残っている。あれがmusizierenだった。演奏者の楽しさが伝わる・・・

楽器を見せるだけでは知ってもらえない。1人でもデモンストレーションできなければと始めた演奏だけれど、私も演奏するからには、何かが伝わる音楽をしていきたいと思う。
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by yt-aoki | 2011-05-05 11:47 | ハンマー・ダルシマー | Comments(2)
Commented by 小松崎健 at 2011-05-06 08:14 x
良いお話ですね。共感します。
先日、来日したアイリッシュ・フィドルの巨匠、マーティン・ヘイズのワークショップに参加しましたが、彼も「音楽をすること」について、同じようなお話をしていました。
「GRUPPE 和」、いつか、行ってみたいです。
Commented by ゆり at 2011-05-06 22:07 x
すばらしい記事だと思います。
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