天正遣欧少年使節はダルシマーを弾いたか?

ダルシマーはピアノの祖先か?
久しぶりに出たこの話題に対し、名前の混同による誤解かもしれないと書き、天正遣欧少年使節のことを思い出した。少年使節にも、名前の混同による誤解があった可能性がある。

天正遣欧少年使節がダルシマーを弾いている絵があるという。それを教えてくれた人は、「日本にいる頃から練習をしたのではないか? だからキリスト教と共に日本にダルシマーが入ってきたに違いない」と言った。

本当にそんな絵があったのだろうか? 調べてもわからず、ことあるごとに洋楽史に詳しい方たちに聞いてみたが、もう一人「あったけど、どこにあったか思い出せない」という答えが返ってきただけだった。洋楽流入史を調べても、キリスト教と共にダルシマーが入ってきたという話はない。

それではヨーロッパで彼らが演奏した楽器は何かと調べると、オルガン、クラヴォ、ヴィオラという名前が挙がる。この中でクラヴォとは、日本に持ち込まれた最初の西洋楽器とも考えられていて、その形は「十三ノ琴ノ絲ヒカザルニ 五調子十二調子ヲ吟ズル」と記され、クラヴィコード(弦をはじくハープシコードと違い、爪が弦を打つ打弦鍵盤楽器)と考えられている。厳密に言えばハープシコードとは違うが、鍵盤楽器であることに変わりはない。

ハープシコードは英語の名前だが、ドイツ語ではチェンバロと言う。このチェンバロという言葉はギリシャ語のキンバロム(ラテン語でキュンバルムcymbalum)に由来する。このラテン語のつづりは地域によりツィンバルムと発音され、ダルシマーを意味する。

天正遣欧少年使節が足を踏み入れた国は、現在ではスペイン、ポルトガル、イタリアであるが、その話題はヨーロッパ中に広まり、彼らに関する出版物は、ポーランドのクラクフや、リトアニアのビリニュスでも確認されているそうだ。つまりダルシマーをツィンバールと呼ぶ地域にまで広まっているのだ。

ということは・・・イタリアでクラヴィチェンバロを弾いた(Clavisは鍵盤の意味であるので、ツィンバルムと区別するためにクラヴィツィンバルムとしたのか?)という話題は、遠くへ行くにしたがって、ツィンバルムと誤解され、それを読んだその地の人がダルシマーの絵を描いたのではないかという疑いが出てくる。これはあくまで仮説で、検証されているわけではないが。

そして、これを調べている最中、結城了悟氏の著書の中に、使節たちのもてなしとして「サルテリオ(psalterio)とも呼ばれるドルチェメレを演奏した」とあることを教えられ、これこそがダルシマーと思ったのだ。しかしまだ、こちらもきちんと調べきれていない。
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by yt-aoki | 2012-06-05 02:01 | 歴史 | Comments(0)
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