誰もが知っている曲を弾くということ

このところ、タイトルに書いた話題が集中して身の回りで起こっているような気がする。ひとつは、アイリッシュばかり演奏していると、お客が入らなくなったと聞いたことがきっかけだったように思う。もちろん「好きな曲しか弾かない」という演奏者がいることも知っているが、私は選曲の際には、聞き手のことを考える。そこへ行くのは何度目か、以前に何を弾いたか、何が好まれたか。訪ねてくるお客様に出す料理を考えるのと同じかもしれない。

池袋ジャズフェスティバルで何を演奏するかというときにも考えた。
できるだけハートストリングスらしいレパートリーで、自信を持って弾ける曲と、よく知られている曲を交互に。そう考えてジグやリールのメドレーの合間に「思い出のグリーングラス」、「また君に恋してる」、「ふるさと」を入れたところ、やはり「また君に恋してる」の評判がよかった。

美野里ダルシマ&オートハープ・フェスティバルでも「また君」の評判はよかったし、無理無理バッハを弾いたトリオに対しては、「ダルシマーは難しいメロディを弾く人が多いようだけれど、童謡とか唱歌のアレンジも聞いてみたい」という感想をいただいた。バッハは完璧に「弾きたい曲」であり、うまくできたときに「自分が心地よい」曲なのだ。今回は「試し」であったので、次のチャンスがあれば別の方向性を考えてみたいが、3人3様にアレンジするので、かえって難しくなるかもしれない。

そんなことが続いている最中、「日本の笛とピアノ」というコンサートに誘われた(福原友裕TRIO 6月9日 リンデンバウム)。篠笛とピアノで日本歌曲やクラシックの名曲をという内容。チラシには「邦楽笛奏者としての演奏活動の一方、現代邦楽・ジャズ・クラシックとの共演など、他ジャンルへの挑戦も積極的に行っている」と紹介されていたが、冒頭から演奏者は、「今回は初めての曲ばかり。初心者です」と話された。(もちろんそれでもきちんと演奏されるプロです。)

ここでまた、ずっと伝統音楽しか演奏してこなかったが「ピアノのあるこういう場を与えられて、こういう曲も演奏した方が良いのかと」と選曲し、数回練習してきたというコメントに、また「誰もが知っている曲」とつながってしまったことを感じる。特にバッハの「主よ人の望みの喜びよ」や、「カッチーニのアヴェマリア」、「アメイジング・グレイス」などは典型的だ。

ただ、相手がピアノであるというところに、最近の私は疑問を感じる。もちろんピアノでも良いのだが、篠笛に対して音量的にも内容的にも派手すぎるのではないか。もう少し音が少な目のアレンジをするとか、相手がギターとかでも良いのではないかと。特に1曲、三味線伴奏の曲があまりにしっくりきすぎてしまったので、なおのことそう感じたのかもしれない。

ギターは調の変更などにも柔軟に対応できる場合が多いが、ピアノは楽譜に書かれているとおり正確に弾かれる。たとえあまり適切ではないアレンジだったとしても、楽譜通りに弾くのがピアニストだ。というか、クラシックの世界では、楽譜通りに弾くのがルールだから当然なのだ。けれど邦楽器に限らず民族楽器のピアノ伴奏をする場合、その楽器が演奏しやすい調に変更したり、音量だけでなく和音の音の数なども適当に変えられる力を持った演奏者であって欲しいと思う。そうでないとせっかくの試みの好印象が減じられてしまうような気がするのだ。多分ずっとそう思っていたから、私はダルシマーをヴァイオリンやフルートのようにピアノ伴奏で弾くということを考えなかったのだろう。

それにしても次の課題は「誰もが知っている曲」とは何かということで、これがなかなか難しい。先日のハートストリングスの練習会は、この話題だけでほとんど終わってしまったほどだ。
[PR]
by yt-aoki | 2012-06-14 17:53 | イベント・コンサート | Comments(0)
<< ピアノの祖先?(1) 自然館でのランチタイムBGM演奏 >>