3番目のパート

私は中学・高校をミッション・スクールで過ごした。つまりこの6年間、毎朝讃美歌を2曲ずつ歌っていたということだ。礼拝では必ずオルガンかピアノの伴奏がつくが、何か行事の時には、伴奏なしで歌うこともある。

そもそも讃美歌は4声体で作られているので、女声2部、男声2部の4パートが揃えば伴奏は必要ない。女子校だったから混声4部で歌うことはほとんどなかったが、必ずアルト・パートを歌う人がいるので、すぐに2部になった。そしてその2部が安定してくると、誰かがテナーを1オクターブ上げて歌った。この3番目のパートは、10人に一人くらいいるだけで、とても華やいできれいな感じになる。ただ伴奏なしでこれをしてしまうと安定感がなくなるので、そういうときにはバス・パートを1オクターブ上げて歌ったりした。

プロテスタントのミッション・スクールに学んでいる者は、必ずしもキリスト教信者ではない。だから讃美歌を歌うときにも、その歌詞の意味を考え神を賛美するというよりは、単に好きな歌を歌うという感覚だった。それゆえ、何かにつけて、ちょっと休日に友達の家に遊びに行ったときなどにも歌った。そして私は、歌う人がいなければ3番目、4番目のパートを歌った。

今ダルシマーを弾きながら、同じような感覚が残っているのを感じる。
例えば今度の美野里では、ちょっと古いけれど有名な映画音楽をメンバー2人で演奏するが、私は3番目のパートを作りながらそれに加わる。また、オートハープのメロディーにギター伴奏で完結しているところへ、やはり3番目のパートを入れていくのが楽しい。

いつもそんなことばかりしているから、誰でもこの20曲は弾けるようにしましょうと決めたコア曲の、メロディーが怪しかったりする。
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by yt-aoki | 2008-05-09 17:01 | 音楽 | Comments(0)
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