カテゴリ:日本打弦楽器協会( 25 )

ピアノ・ダルシマー

昨年秋、Dusty Strings社のPiano Dulcimer(PD30)を購入した人が、練習会に楽器を持って参加してくれた。私の周りでは、I氏がDS社他のダルシマー・メーカーを回った際に見てきたくらいだ。私たちの先生も持っていると今回知ったが、使えずに置いてあるという。

私はといえば、I氏の報告を読み、また先日写真を使っての口頭発表を聞いた他は、DS社のサイトを見に行くくらいだ。ただ、楽器が欲しいと相談されたとき、I氏の発表を聞いて面白いと思ったので、こういうものもあるという紹介はした。彼女の音楽歴と、楽器に求めている条件から、実際に手にした事はないが、ピアノ・ダルシマーという方法もあると感じたからだ。そして彼女は見たことも音を聞いたこともない楽器を買った。

クロマチックのダルシマーと言えば、ドイツのハックブレットだ。アメリカのダルシマー・メーカーも、ブリッジを増やして必要な音を作り、それをクロマチック・ダルシマーと言っているが、それは単にある音域に関してはすべての音があるという程度のことでしかない。ピアノのように、1オクターブの12音が順に配置されているのは、ハックブレットとピアノ・ダルシマーだけだろう。(もうひとつあったかもしれないが、印象が薄く記憶に残っていない。)

ハックブレットはブリッジを左右に寄せ、内側だけをたたくという方法を採用した。そのためこの楽器の幅はそれほど広くない(底辺が短い)。それに対してピアノ・ダルシマーは、楽器の中央部分にブリッジを立て、左右を使う方法を採った。ブリッジの左側と右側の音は、右側が半音高くなっている。さらに弦はブリッジ上の2点で支えられるため、片側の弦をたたいても、反対側に影響しないばかりでなく、その音がピアノで言えば白鍵にあたるのか、黒鍵にあたるのかを白と黒で示している。

音階の弾きにくさなどはハックブレットと変わらない(ハンマー・ダルシマーは、音階を右手から始めても左手から始めても手を交差せずに交互に打つことができる)。しかし、半音でつながる音型をもつフレーズを弾いてみると、圧倒的にピアノ・ダルシマーの方がハックブレットよりも弾きやすい。ブリッジの左右なので、弾く位置が近く、打ち間違いが少ないのだ。しかも出てくる音は、普段からなじんでいるダスティの音だ。

面白い。それに、使える。ちょっと欲しくなってしまった。
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by yt-aoki | 2006-01-30 01:23 | 日本打弦楽器協会 | Comments(0)

ダルシマーの新年

ダルシマーの新年は、原稿提出から始まった。
昨年中に刊行予定だったジャーナルがまだ出ていない。8割を昨年夏に書き、残りを12月にまとめた原稿を、書き上げて編集担当に送ることが最初だった(もちろん、何人かの関係者との年賀状、年賀メールのやりとりはあったが)。担当が本業の仕事に縛られて、何もできない状態にある。その相手が動ける兆しがない限り、原稿を送ってもプレッシャーになるだけだろうと控えていた。零細企業ならぬ零細協会は、運営がほんの数人のかかってしまうので大変だ。もう少し手が欲しい。

御弾き初めは15日、ハートストリングスの練習会。
持って行った楽器はほぼ2ヶ月触っていなかったため、チューニングに大変時間がかかった。しかも、これといって弾きたい曲も思い浮かばず、皆で通常の練習をしただけ。
同じ日の夜、近隣の方たちのレッスン。こちらは月に2回、1時間ずつ、2人が1台の楽器を交互に弾きながら練習している。音階と、メリーさんの羊、ぶんぶんぶん、かえるのうた、といったような、音域が5度6度程度の曲しか弾いていない。そろそろ1オクターブの練習曲を考えよう。

帰宅して夜になってから突然ある曲を弾いてみてはどうかと思いついた。
昔ピアノで弾いた曲、弾いたはずなのに楽譜がみつからない。
それとは別に、昨年秋ごろからあるポピュラー曲もレパートリーにできるのではないかと考えていたのに、そのままになっていたことを思い出した。こちらは楽譜が譜面台に乗ったまま。1人では難しいが、2人で弾いたら結構よさそう。

とりあえず、楽譜のある方から始めよう。多分これが新年最初のアレンジになるだろう。
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by yt-aoki | 2006-01-17 00:35 | 日本打弦楽器協会 | Comments(0)

CWAエピソード6:ふるさと

最終日はガラ・コンサート。日程の何日目だったかに、CWA会長から演奏したい人は申し出るようにとの話があった。日本人は大抵夕食を一緒にしていたが、Jさんから最終日に日本人全員で参加しませんかとの提案があった。文部省唱歌「ふるさと」の楽譜を用意している。ツィンバロムの彼女と同じくツィンバロムのH君は何の問題もないだろう。揚琴のYaさんとYo君も楽器を借りればメロディーくらい弾ける。残る人たちはどうするか。

実は私は北京行きの前日に思いついて、Backpacker Hammered Dulcimerを持っていっていた。日本国内の旅行にも持って行ったし、ちょっと人に自分の楽器を紹介するためにも持ち歩いた。楽器なしで参加するより、何かのおりの話題づくりにもなるかと思ったのだ。実は北京に到着してから空港での時間つぶしにも使った。

その楽器を使おう。ダルシマ初心者のKさんでも、その程度のメロディーなら弾ける。
で、後の人は「歌いましょう」というのがJさんの提案。「私はピアノで伴奏するから。」

とりあえずKさんに楽器を貸して練習してもらった。その脇から私が中声部をたたくという案もあったが、あまりに小さいダルシマでそれも難しい。それに、普段から熱心に練習会に参加しているKさんは、何の問題もなく弾ける。

で、私も歌うことにした。歌のメンバーは他にSさんとA先生ご夫妻。
いいのかなぁ、先生だけでなく奥様まで引っ張り出してしまって・・・

ガラ・コンサート当日。午前中のセッションが終わり、昼食後、出演者はみな1時半のバスでオープニング・コンサートが開かれたのと同じ会場に行くことになった。Sさんは翌日から仕事で上海に行くため、ホテルをチェックアウトしてしまい、北京市内にホテルを探すという予定だった。だからもちろん大きな荷物を持っている。が、いざバスに乗り込もうとすると、担当者がこのバスは演奏者だけしか乗れないという。しかも彼女が持っている演奏者リストにはJさんとH君の名前しかないのだ。ここでJさんの交渉が始まる。「皆演奏するんです。Sさん、Kさん・・・」と名前を書いてもらい・・・。

みんな昼間から北京市内へ行きたいがため、バスに乗りたいために、舞台に立ってしまいました。私も歌はもちろん専門ではないし、勉強したのは単位をとるための1年くらいで、以来20年、ろくに歌ったことなかったのに。
ま、いいかで済ませてしまって、申し訳ありません。

この日、北京在住のNさんが聞きに来てくれた。素晴らしい演奏が続いた中での日本の歌、とてもよかったと言ってくださったけれど、それは、打弦楽器ばかり続いた中での異色さがよかっただけではとも思ったりする。でも、日本からはスピーチもしたし、全員での演奏もしたし、少しはアピールできたのではないかと思う。
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by yt-aoki | 2005-11-02 01:04 | 日本打弦楽器協会 | Comments(0)

CWAエピソード5:サイン攻め

日本の次は天津音楽学院の演奏だった。その最中、チェックインの準備ができましたと呼び出された。ロビーであれこれ書類を書き、それぞれの部屋がシングルかツインか、食事をどうするか、キャッシュで払うかクレジット・カードで払うかを確認され、金額が決まるとそれをホテルのフロントに払いに行き、領収書を持ってカウンターに戻る。そして初めて名札、プログラムなどの一そろいが渡された。119ページの厚いパンフレットには、いわゆるご挨拶や組織委員会のメンバー紹介、外国からの参加者の紹介、中国からの参加者の紹介が掲載されている。薄い方は、より細かな曲目まで掲載されたプログラムになっている。何がどこに書いてあるのかを理解するまでに時間がかかった。

さて、その日の午後だったと思う。中国人の若い子たちが、日本人演奏者にサインを求めに来た。「そーかそーか、サインね。」と思ったのもつかの間、彼らは私のほうにもやってきたのだ。開かれたページには私のプロフィールが記載されている。中には一緒に写真をとってくれという者もいる。これは延々とほぼ最終日まで続いた。しかも演奏した者ばかりではない。プロフィールが掲載されている者はすべて。中には、あなたの名前はないのかと、何故か名前だけしか掲載されなかった人にまでサインを求めてくる。集合写真を撮っていた時にも、隣からプログラムとペンが差し出されたのにはびっくり。

私達外国人の名札には写真の上に大きくAと記載されていた。他にはBまた、AともBとも記載のない名札があった。帰国してから調べなおしてみたが、Aは中国人の場合、5年以上の教育経験があるとか、学術発表をしている、国家二級以上の専門の演奏家などであったのだ。だから中国の高名な先生方と同じ扱いを受けた。(ちなみにBは演奏家、教育者であっても紹介状が必要、その他は学生だったり愛好家だったりする。)

学生達にしてみれば、自分が勉強している楽器の世界的な大会が自分の国で開かれ、世界各国からその国を代表する演奏家達が来ている、一流の演奏を聞き、外国の事情を知り、見たことのない同族の楽器を見るという大興奮の機会だったのだ。私も一愛好家にすぎないのに、大変な待遇だった。彼らは自分の出身地へ帰り、こんなにたくさんサインをもらったし、写真をとったと親兄弟、友人達に報告するのだろう。

なんとも申し訳ないような貴重な体験だ。
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by yt-aoki | 2005-10-28 23:51 | 日本打弦楽器協会 | Comments(0)

CWAエピソード4:登録前の発表

翌朝は、8時過ぎからCWAの会合。
会費納入が問題になっているらしいが、まだ頭が英語に慣れずついていけない。
9時に終了。スタッフから9時半まで食事ができるからと案内される。私達はまだチェックインもすませてないので、特別に朝食券をだしてもらったようだ。

しかし、10時から日本の発表。食事もそこそこに、会場へ行く。すでに香港のグループの演奏が始まっていた。そこで初めて私は、私の発表の中国語通訳をすると連絡をくれた男性、夜中の宴会の最中挨拶にきてくれた人が、優れた揚琴奏者だということを知った。(彼からのメールでは、香港出身で北京で勉強しているCWAのメンバーとしかわからなかったのだ。)

やがて香港のグループの演奏が終わり、日本人グループのためにツィンバロムが舞台上に運ばれてきた。すると、あっという間に会場から聴衆が舞台へ上がり、ツィンバロムの写真を取りまくる。客席からはステージに何があるのかわからないような状態だ。あまりの人のすごさに、この先どのように進むのかすらわからない。私達も到着したばかりで、誰に尋ねればよいのかもわからないのだ。なるようになれと思っていたら、人が排除され、演奏が始まった。

日本の曲を1曲、夕べ打ち合わせたメンバーで揚琴の助っ人を入れての演奏。それがなかなか良い。さすがにプロだ、などと考えている間もなく、演奏は終わってしまった。次は私の生まれて初めての(大げさな! でも真実。)英語のスピーチ。

演台が用意され、マイクの高さを試しに立ったら客席から「顔しか見えないわよ」と日本語で声がかかり演台はやめてもらった。原稿を手に持ちながら読む。1段落ごとに、中国語の通訳が入る。これこそ初めての体験。落ち着いて抑揚をつけて読むはずが、結構声が上ずっていた、という記憶がある。

けれどここで書くべきことはそんなことではない。

<<私達は、レジストレーションも済ませず、名札も持たず、プログラムにどう記載されているかも知らずに発表を終えた>>

ということだ。プログラムには、半年も前に提出して忘れていたプロフィール、それが一部誤植やら改行の不備などで飾られて、顔写真と共に1人1ページで掲載されていた。それが何を意味するか・・・はまたいずれ。
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by yt-aoki | 2005-10-26 01:23 | 日本打弦楽器協会 | Comments(0)

CWAエピソード3:午前1時からの宴会

午後7時半に開演したオープニング・コンサート、デュオありソロありアンサンブルあり、これでもかというくらいに大量の揚琴が舞台に乗り、第一級の演奏家達が演奏する。全部で13曲。

終わったのは10時半。そしてそれから大写真撮影大会が始まった。
しばらくは様子をみていたが、まわりに日本人の姿がなくなったので、空港から乗ってきたバスに戻ったが、ホテルから来ている大きいバスに乗ってくれといわれる。しかし、バスは何台も止まっていて、どれに乗っていいのやら。空席の多いバスに乗ったら、それが外国人専用だったらしく、CWAの理事たちや会長さんご夫妻が乗ってきた。私達が乗ったせいではないと思うのだが、席が足りなくなったらしく、何人か降ろされたりして、バスがホールを出たのは12時だった。

そんな時間、道路が昼間よりはすいているはずの時間なのに、ホテルに着いたのは1時過ぎ。2階で部屋の鍵を渡すからと言われ、そのまま宴会場へ。まさかと思ったが、本当にその時間からパーティーが始まった。挨拶があり、人の紹介があり、料理もどんどん運ばれてきて円卓がいっぱいになる。

3時過ぎ、朦朧としてきたので失礼したが、まだ皆残っていた。
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by yt-aoki | 2005-10-25 00:44 | 日本打弦楽器協会 | Comments(0)

CWAエピソード2:席がない

オープニング・コンサートの入場時間となった。私達はレジストレーションを済ませてないため、名札も持っていない。ちょっと不安であったが、早くに到着していた私達を見覚えていてくれて、プログラムと一緒にチケットを渡してくれた。

前列から2列目、センターからは外れているがそう悪い席ではない。
ところが、行ってみると座っている人がいる。???
チケットを見たら14日ではなく、19日の日付のものが1枚混ざっていた。あらら。

次に私がその人の隣へ座ろうとすると、いきなり中国語で何かまくしたてられた。
理解できずにいると、中国語のわかる人が「この席には連れが戻ってくると言っている」と。
ダブル・ブッキング?
受付へ戻るが、忙しいのか「後、後」と取り合ってもらえない。チケットを渡してくれた女性もみつからない。ご一行様中唯一中国語を解する人が「僕が交渉するから、この席に座っていていいよ」とチケットを交換してくれた。

さて・・・私のもらったチケットは2列の29番。
元の場所へもどって探すのだが、24,26,28,30と偶数番号の席しかない。
あれこれ続くとこちらもパニック気味。
ロビーへもどって「席がないよ」。

もしやと思って座席表を見たら、センターから右に2,4,6・・・左に1,3,5・・・となっていた。
こんな番号の振り方は初めてだ。
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by yt-aoki | 2005-10-25 00:23 | 日本打弦楽器協会 | Comments(0)

CWA エピソード1:空港から会場へ

今年最大のイベント、Cimbalom World Assosiationの北京での大会が終わった。
10月14日から19日まで、中国式に言うと、第八届世界揚琴大会だ。何度も問い合わせたにも関わらず、結局会場が北京市通州区のSplendor International Conference Center(思菩蘭国際会議中心)としかわからず、電話番号も「明日からはこの番号で」というものだけ。初めての者にとっては、正確な住所もホテルの電話番号もわからず不安であったが、中国へ何度も行ったことのある人によれば、空港に迎えに来てくれるのだから大丈夫だろうとのこと。偶然2日前になって中国語のホームページをみつけたのだが、その内容も8月ごろのものだった。(会場の地図はあった。おまけに後からわかったことだが、会場は川ひとつ隔てて通州区から外れていた。)

日本からの御一行様は7名。皆4時ごろ起きて成田に7時半に集合し、北京へ飛んだのだが・・・

迎えが来ない!

ようやく探し当てた看板?というか、簡易なスタンドに張られた幕。
やがて若い女の子が一人、困ったような顔をして現れた。通訳だという彼女によれば、送迎バスが小さくて午前中に来た人たちがまだ待っている。大きいバスを出すように電話しているがまだ来ない。

それからどれだけ待っただろう。交代でお茶を飲みに行ったり、空港見物に行ったり、テレホンカードが電話機に入ったまま出てこないとカード会社の社員に文句を言っているのや、そのカードを取り出そうと試しているのを眺めていたり。

やがて現れた男性が着いて来いと身振りで示す。よくわからないまま着いていくとバスが1台。しかしそのバスは、私達より前から来ているグループで満席で、さらに通訳の女の子まで乗っている。バスの外では通訳のボスといった感じの男の人が怒鳴っている。バスは通訳を乗せたまま出発してしまうのに、残った男の人たちは英語が通じない。

どういうこと??

怒鳴っていた(もしかしたら単に話していただけなのかもしれないが)男の人がついて来いと言うようなのでまた移動。次に行った先は駐車場だった。そこへ10人乗りくらいのマイクロ・バスが2台やってきてそれに乗ることになった。日本人とマレーシアから来た4人。バスが動き出してしばらくして時計を見たら、4時を過ぎていた。

この日、本来はホテルにチェックインしてからオープニングコンサート会場の中国国家図書館音楽ホール(海淀区)に行く予定だった。しかしバスは直接コンサート会場を目指している。日差しの方向と、だんだんビルが密集していくのでそれがわかる。どうやらホテルの方に向かってしまうとコンサート会場にたどり着けないという判断のようだ。そして私達の目の前で出発したバスは、ホテルへ行きたいと主張していたようで、ホテルへ向かったらしい。

渋滞している夕方の北京市内を走るのは、スリリングな体験だった。私は前が見えなかったからよいものの、助手席に座った男性が思わずあげた声に、運転手が驚くという一場面もあった。いつもどこからもブーブーとクラクションを鳴らす音が聞こえ、エンストして止まっている車があったりする。私達の乗ったバスも、なんと会場近くの交差点でエンスト。

ようやく会場に着いたら、リハーサルの最中だった。「何か食べられるの? 私達は昼食もとってないのだけど」と言ったら食券を渡され、お弁当を食べることができた。初めての中国風弁当。青菜、カレー、鳥のから揚げ、肉野菜炒めというおかずに、白いご飯が別につき、大きなみかんと水1本。お昼を食べてなくても、食べきれるものではない。

元気のよい人は、食後散策にでかけたが、私はそこで休むことにした。
もうすぐオープニング・コンサートだ。
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by yt-aoki | 2005-10-21 01:34 | 日本打弦楽器協会 | Comments(0)

いろいろ、少しずつ

9月20日発行の会報でも再度アナウンスしたが、楽器を作ることに関するフォーラムを開催した。タイトルは「フォーラム:打弦楽器 を作る・直す」。何人かから、とても関心があるのに日程的に行けないという連絡をもらい、結構厳しいかなと思っていたが、主催者側の発表者も入れて19人が集まった。少人数の団体にしては、かなりの関心を持ってもらえたということだろう。ある方からは、楽器の製作について考えるのはとても重要なこと、よい企画であるし、結果もとてもよかったと評価していただいた。このフォーラムは、今後も継続的に行っていきたい。ただ、他の行事もあるので、次回は多分来年の2月ごろになってしまうだろう。

今日は(きのうか)今年会員になった人が、ハックブレットの演奏でデビューした。最初は昨年朝日新聞の「民族楽器の旅」にツィンバロムが掲載された時、それを見て「ダルシマーを買いたい」とコンタクトを取ってきた人だった。その後はお会いすることもなかったが、年が明けてからハンマーダルシマークラブの練習会に来てくださり、協会の交流会に参加してくださり、会員になってくださった。そして、10月のコンサートで使ってみたいと相談を受けたのが多分今年の3月ごろ。実際に楽器を選び、借りたのは4月。わずか半年で、バッハを舞台で演奏してくださった。素人にはそうはいかない楽器、さすがに打楽器奏者だ。そして今日のコンサートで、協会の事務局長が楽器の説明をしたが、一番喜んだのは彼だ。これでやっと変な民俗楽器ではなく、普通に楽器として扱ってもらえると、興奮している。彼が演奏するのは、チロル地方の民俗音楽。ドイツには長年この楽器を研究している人がいて、古い楽譜を復刻したりしている。そのドイツ人のCDを聞けば、古楽としてのハックブレットが聞ける。いよいよ日本でも、その可能性が開けてきた。

次の話題はかなりプライベートなこと。私の住んでいる500世帯近い3棟のマンションができて5年になるのだが、団地管理組合の理事会が5周年記念イベントを企画した。いつも23区内で活動していて、地元で、特に近隣の人たちと交流を持っていない者としては、こういう時に楽器を紹介し、演奏仲間が増やせればとエントリーした。無名のデュオの相手が不在のため、ひとりでの参加だ。たいした演奏はできないし、デモンストレーション程度かなと思っていたが、そういう企画がなかったのか、理事会の方では演奏を披露する場所と時間帯まで決めてくれていた。さて、どうするか・・・、ソロで演奏できる曲なんてないぞ。

だいたい、本当は人の演奏を聞きに行ったりしている場合ではないのだ。今年は北京で世界大会が開かれる。日本からの参加者が少なく、特に演奏者の参加が少ないので、日本の状況を話すことにした。生まれて初めて、英語での15分のスピーチだ。本当は8月中に原稿を書く予定だった。けれど夏休みというのは、たまりにたまった家事をする時、というのが長年の習慣だ。そして今年はいつになく、よく働いた。その後の9月もあれこれ用事が入り、次の目標9月末日も過ぎてしまった。一応3分の2は書けたと思っているのだが。最終仕上げをいつしようかと考えていたら、中国からメールが入った。「主催者から中国語の通訳を頼まれたので、内容を詳しく送って欲しい」。これで原稿は急いで仕上げなければならなくなった。ネイティブのチェックの時間を考えると・・・、また仕事休まなければならないかもしれない。
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by yt-aoki | 2005-10-03 01:50 | 日本打弦楽器協会 | Comments(0)

会報16号

会報16号を9月中に出してしまおうなんて事を言い出したのは、いつだったろう。
多分、9月の8日ごろではなかったか。

7月に出した後、9月にいくつかのコンサートがあることがわかったのだ。それも会員が演奏するコンサート。

まずいよね、早く出した方がよいね。そういいながら、いつ出すかを決めかねていた。
あまり早く出すと、次がまた早まってしまう。

結局、10月のCimbalom World Association北京大会前に、北京行きはこんな状況です、参加しませんかという記事を入れて、9月中に出すことにしたのだ。前回が7月20日付けだから、今回は9月20日付け。

9月12日、留学中のS氏が一時帰国するため、北京情報などの交換のため会合を持った。その日に一部の原稿依頼。本当は私が前日に打診しておくはずだったのに、忙しくて忘れてしまっていた。夜10時の別れ際、お願いしますといったら「エーー!!明日から忙しくなるのにーー!」(ごめんなさい!) 「いつまで?」「早く書いたが勝ちです!」そして、彼女の勝ち。
私がコンサート情報を問い合わせている間に、もう原稿は送られていた。

その後、編集の相方が15日から18日まで東京を離れることがわかった。ネットにはつなげないけれど、パソコンは持っていくので編集はできる。その言葉に、できる限りの原稿を用意して送った。

15日からの4日間は、修正データを毎日彼女の携帯に送る。一部の長い原稿は、帰宅した時に読んでもらおうと自宅のパソコンに宛てた。そして19日。昼になって届いたメールによれば、前の晩遅く帰宅、メールチェックしようとしたら無線LANがつながらず、格闘の後受信したメールが400通あまり。チェックしているうちに疲れて寝てしまったと。

それから約14時間メールのやり取りを続けて、20日の午前2時半、私は休むことにした。
彼女からの最終稿が届いたのは午前4時。それを8時ごろプリントアウトして、夜会う段取りを決め、出勤。昼休みにコピーと折り。夜ファミレスで封入。相方は徹夜したそうだ。

なんでこんなことをするのだろう。もっと楽にすればいいのに。もっと時間をかけるとか、だいたいなんでこんなに、自分で自分の首を絞めるような設定にするのだろう。そう思いながらもしてしまう、お互いにそんなことをしてしまうのは、多分、使命感。

私達は私達のできることをする。そのために私達はいる。そして私達の「できること」の中には、「最低限これだけは押さえなければいけない」ということがあって、それは暗黙の了解としてお互いに持っている。だから安心して一緒に仕事ができるのだ。

ん? 仕事? お金にならないから仕事じゃないか。
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by yt-aoki | 2005-09-21 01:48 | 日本打弦楽器協会 | Comments(0)