カテゴリ:音楽( 21 )

ほんとに近所だった!

6月17日(火曜)
14時からオーブンミトンにてコンサートです♪
という内容のブログのタイトルは、「お、近所だった」。

わお!私の方が近所だ。ここはお散歩南コースに入っている、そう思ってオーブンミトンさんのサイトを開いたら、完売! さすがですねbreathさん。

小林真人さんの「風知草」を、お許しをいただいてダルシマー・ソロ用にアレンジしたのですが、難しくてまだ弾けません。時々自然館でひそかに試してみるのですが、あまりに下手で、弾いていていやになります。やはりきちんと時間をとって練習しなければダメですね。美野里が済んだら、レパートリーにできるようにしたいと思います。
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by yt-aoki | 2008-05-18 01:52 | 音楽 | Comments(3)

3番目のパート

私は中学・高校をミッション・スクールで過ごした。つまりこの6年間、毎朝讃美歌を2曲ずつ歌っていたということだ。礼拝では必ずオルガンかピアノの伴奏がつくが、何か行事の時には、伴奏なしで歌うこともある。

そもそも讃美歌は4声体で作られているので、女声2部、男声2部の4パートが揃えば伴奏は必要ない。女子校だったから混声4部で歌うことはほとんどなかったが、必ずアルト・パートを歌う人がいるので、すぐに2部になった。そしてその2部が安定してくると、誰かがテナーを1オクターブ上げて歌った。この3番目のパートは、10人に一人くらいいるだけで、とても華やいできれいな感じになる。ただ伴奏なしでこれをしてしまうと安定感がなくなるので、そういうときにはバス・パートを1オクターブ上げて歌ったりした。

プロテスタントのミッション・スクールに学んでいる者は、必ずしもキリスト教信者ではない。だから讃美歌を歌うときにも、その歌詞の意味を考え神を賛美するというよりは、単に好きな歌を歌うという感覚だった。それゆえ、何かにつけて、ちょっと休日に友達の家に遊びに行ったときなどにも歌った。そして私は、歌う人がいなければ3番目、4番目のパートを歌った。

今ダルシマーを弾きながら、同じような感覚が残っているのを感じる。
例えば今度の美野里では、ちょっと古いけれど有名な映画音楽をメンバー2人で演奏するが、私は3番目のパートを作りながらそれに加わる。また、オートハープのメロディーにギター伴奏で完結しているところへ、やはり3番目のパートを入れていくのが楽しい。

いつもそんなことばかりしているから、誰でもこの20曲は弾けるようにしましょうと決めたコア曲の、メロディーが怪しかったりする。
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by yt-aoki | 2008-05-09 17:01 | 音楽 | Comments(0)

ピアノ

ピアノを弾くことは、大学卒業と同時に止めてしまった。その話をすると、もったいないと言われるが、多分大学の4年間で自分の力がそれほどのものではないと気づいてしまったのだ。だからといってピアノを手放したわけではなく、引っ越してもずっと持ち続けていた。とはいえ狭いマンションの中ではうるさいので、大学卒業後10年くらい経ったころ、その
Van Broadを人にあげて場所を作り、電子ピアノを買った。ヘッドホンで聞けるのが面白くてしばらく弾いていたが、結局年に1度、クリスマスの讃美歌を弾くだけになった。

ダルシマーを弾くようになってからは、アレンジの音の確認などにピアノを使っていたが、そのうちピアノ感覚でアレンジをすると音が多すぎるということに気づくようになり、ダルシマーが弾けるようになるにつれてピアノは使わなくなった。ところがある日突然バッハが弾きたくなり、インベンションを弾いてみた。長い間バッハには興味がなかったのに、右手と左手を均等に使わなければならない対位法の曲は基本なのかもしれないと素直に思えるようになった。

一方で音律を考えるようになった。今はチューナーによって、誰でも比較的容易にチューニングできるし、それだからこそクラブでアンサンブルができるのだが、ダルシマーを平均律にしてよいのだろうかという疑問は常にある。そして多分1999年頃の楽器フェアだったと思う。ハックブレットが出品されていた年、ローランドのブースでスピネット型の電子ハープシコードを触ったのだ。電子ピアノと違い、弦をはじくような抵抗感があり、音律も変えられてピアノよりはずっと小さな楽器に惹かれた。別に鍵盤楽器の専門家になるのではなく、音律の勉強をしたいだけなら、電子楽器で充分だ。そのときはハックブレットを買うつもりだったので3年後くらいに欲しいと思ったが、そのまま忘れてしまった。

昨年近所の家電量販店で、シンプルで小さくしかも安い電子ピアノを見て、買い換えたくなった。そうは言うものの、買い物の前にカタログの比較検討をするのは生まれ育った家の習慣だ。そして比較するうち、音律の変えられる電子ピアノが増えていることに気づく。しかし、そこにこだわりだすと値段は高くなり、簡単には決められなくなってしまった。それなのに先日、バッハと同じように突然モーツァルトが弾きたくなり、ソナタを弾いた。学生時代よりいろいろ知るようになって、モーツァルトも抵抗なく理解できるようになっている自分に気づくとますます、その時代の音律で弾いてみたくなる。

そして近々、ローランドはまた新しくC-30という電子ハープシコードを発売する。小さくて魅力的だけれど、高いのだろうなあ。
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by yt-aoki | 2008-03-17 15:26 | 音楽 | Comments(0)

クラシックとダルシマー

ヨーロッパの芸術音楽の中でのダルシマーと言ったら、コダーイの「ハーリ・ヤーノシュ」やストラヴィンスキーの作品で知られるように、ツィンバロムだ。これは、もともとハンガリーで古くから使われていた小型のツィンバロムを、オーケストラと一緒に使えるように改良したものなのだから、当然といえば当然のこと。もっと小規模な編成なら小型のダルシマーでも使えると思うが、やはりあまり知られてない楽器なのか、なかなか実現しない。ダルシマーがダイアトニック楽器であるということも理由にはなるだろう。ということはひとつの方向性として、古楽の演奏という可能性がある。

ハックブレットの小川美香子さんは、その可能性を探っている。彼女は今、バロック・サルテリオという復元楽器の到着を待ちながら、ハックブレットでの活動をしている。もともと打楽器奏者であるためハックブレットを始めてすぐに演奏活動の中に取り入れているが、先日は、ギターとフルートとハックブレットという組み合わせで演奏した。ダルシマーとギターというのはよくある組み合わせだが、フルートとダルシマーもなかなか良い。トリオになると、より演奏の幅が広がってよいようだ。

また揚琴と室内オーケストラという思いがけない組み合わせのコンサートも、先日行われた。この揚琴を演奏したのはウェイウェイさん。ポーランドのアマデウス室内オーケストラとの共演だった。この日は中国の有名な二胡奏者朱昌輝氏の「竹樓情歌」という揚琴の曲が、オーケストラ伴奏で演奏されたほか、モンティのチャルダーシュもゲスト・ヴァイオリン奏者天満敦子さんのヴァイオリンに揚琴伴奏というバージョンで演奏された。音量のバランスなど、まだいろいろな問題があると思うが、これからの展開に期待したい。
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by yt-aoki | 2007-12-21 11:39 | 音楽 | Comments(0)

路上ライブ

月に1度か2度、新宿へ行く。以前は必ず週末だったので、混雑を避けて南口を利用していた。伊勢丹より先へ行くので、そこからまっすぐ甲州街道を降りるのが近道だった。ただその経路のネックは駅を出てすぐにある。工事中の塀を背に、ライブをやっているのだ。いつもそこに立って聞いている人たちをかき分けて進んでいた。

昨日もそうだった。ああ、今日もいるんだと思いながら雑踏を抜けて数メートル歩いたところで、知っている曲が流れていることに気づいた。

St. Anne's Reelかな? しかもフィドル! 

約束の時間は迫っていたが、歩いていた道を引き返した。外国人らしき男性2人、ひとりがフィドルでひとりがギター、ドラムをたたいているのは日本人の女の子らしい。そうか、こんなバンドもあったんだと、様子だけ見てバンドの名前も確認せず、その曲が終わったところでまた歩き始めた。ところがまた足が止まる。今度はThe Road to Lisdonverna、この間ちょっと練習した曲。ほんの数歩だけ戻り、放置自転車の間にたたずんだ。

いいないいな、こんなテンポで弾けたらいいな。ダルシマーでは難しいなと思い時計を見ながら聞いて、そろそろ時間切れとその曲が終わったところでまた歩き始める。頭の中では聞いていた曲が流れ続け、メロディーを口ずさみ、歩き方もそのテンポに乗って軽かった、と思う。

何の手がかりも持たずに帰ってきたが、彼らを再び見出すことができるのだろうか?
帰宅してあれこれの用事を済ませ、急ぎのメールを送った後検索してみた。

まずヘブンアーティストを検索して、東京都公認の場所でないことを確認。
次に検索した「ストリート バンド フィドル」というキーワードではダメだったが「新宿南口 フィドル バンド」でヒットした。ある人のブログ中にあった「新宿の駅前で路上ライブ」「アイリッシュ全開」「フィドル?バイオリン?」という言葉で確信、読みに行ってみたらMy
Spaceにリンクしていた。

そこで聞けた音楽は、今日私の足を止めたものとは違っていたが、アイリッシュ・パブなどでライブをしているグループと知る。

私たちのレパートリーにはアイリッシュも入っているが、所詮アメリカナイズされたアイリッシュと思っているので、あまりアイリッシュ/ケルトには踏み込んでこなかった。けれどアイリッシュ・パブに行けばレパートリーのモデルを聞くことができるかもしれない。 
アイリッシュ好きを誘って、ライブに行ってみようと思う。
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by yt-aoki | 2007-09-03 02:51 | 音楽 | Comments(0)

調布市郷土博物館

先週の土曜、調布市郷土博物館へ行ってみた。

新聞の多摩版(7月11日)に企画展「懐かしき、あの日、あの時~団塊の世代の昭和」が始まったという写真つきの記事を読んだからだ。記事には、昭和30年代前後の家庭用品やおもちゃなど、市民から提供された品が展示されているとある。別にこのような企画が珍しいわけではない。特に今は昭和30年代が流行りらしく、あちこちで昭和30年代という文字を見かける。そして写真に見られる再現された居間にも、そういう時代の再現としてよく見られる、足踏みミシン、白黒テレビ、ちゃぶだいが並んでいる。

調布というところは、近い割りには行きにくい。どこかでバスを使うか、電車を2回乗り換えなければならない。そんな面倒なところへわざわざ行くほどのものでもないだろう思ったが、その日は四谷でランチだったので、帰りに新宿から京王線を使い、寄って帰ることを思いついたのだ。調べると駅からちょっと離れているようだったが、運動不足なので歩くことは問題ない。

その日は突然の思いつきだったため、所在地や電話番号、地図など何の用意もなく調布駅から歩き始めた。いい加減な方向感覚だけでは無理だったかと思い始め、何気なく振り返るとそこにあった建物に「博物館」の文字。裏の方へ回ってしまったせいか、案内板は何もなかった。

入場無料の小さな博物館、土曜の午後、お客さんは私のほかに4人だけ。それほど珍しいものがあるわけでもなく、逆に「私も持ってる」というような音楽教科書があったり。そんな企画展を見た後、まあ一応と2階の常設展示室にも上がってみた。ところがそこにあったのが、日本に現存が2台しか確認されてないという製作者による古いリードオルガン。

市民からの寄贈品で、保証書が明治33年(1900年)までのものだったため、それ以前に日本で作られたと考えられるオルガン。61鍵、燭台つき。「大日本東京三省堂」「海保製作」と記されている。修復されたらしく、とてもきれい。

帰りがけに「郷土博物館だより」No. 70(2007.2)をもらってきた。それによると、2000年に寄贈され、2002年に専門家の調査により貴重なものだとわかり、2003年に修復し、コンサートが開かれたとのこと。その後も何回のコンサートにこのオルガンが登場しているらしい。

珍しいものに出会えて、とても得をした気分の午後となった。
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by yt-aoki | 2007-07-28 18:06 | 音楽 | Comments(0)

オカリナを聴く

先月のチャペルコンサートの際、プログラムと一緒に入っていたチラシは、オカリナのコンサート案内だった。もしやと思って、打弦楽器見本市でピアノ・ダルシマーと一緒にオカリナを吹いてくれた方に尋ねると「私の師匠」という。それではもう一度、平日昼間のコンサートに行ってみようと思い予約した。

それほどひどい雨でもなく、暑くもないので駅から歩いてみたが、到着してみると思いのほか客席が埋まっている。やはりツィンバロムよりは知名度が高いだろうなどと思ってしまう。こういうとき、特に一人だと良い席よりも隅の方の席を選ぶ傾向にあり、斜めに演奏者を見られる席を選んだ。

時間になりピアニストが入ってきて、アヴェ・マリアを弾き始める。やがてオカリナ奏者が、会場後方の出入り口から、演奏しながら入ってくる。なるほど、真ん中の通路際が特等席というわけだ。舞台まで来て楽器を持ち替える。オカリナは音域が狭いので、楽器を持ち替えて演奏するのが普通だそうだ。それが、3オクターブの音域で、重音の出る楽器が開発され「それを初めてプロとして使ったので、ちょっと有名になりました」と言ってソロで吹いた「コンドルは飛んでいく」がすごい。

私には時々ピアノがうるさく感じられたが、ピアニストも伴奏にアレンジを加えているらしく、オカリナもそれに煽られていたらしい。コンサートのタイトルが「オカリーナの新しい世界」とつけられていたが、たしかにさまざまな世界を見せてくれて、とても満足。

終演後、ロビーにたむろしていた一群から「消防法」という言葉が聞こえた。満席!

駅へ向かいながら、なぜだかとても練習がしたくなり、帰宅するなりピアノ・ダルシマーに向かい、新しいアレンジを始めた。

演奏家ではない私を刺激したオカリナ奏者は、大沢聡さんという。
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by yt-aoki | 2007-07-04 19:47 | 音楽 | Comments(0)

ドリア旋法

4月から毎日のように放送大学の番組を見ている。以前から興味のある講義はあったが、よほど気をつけていないと、45分刻みの番組を録画して見るということが難しかった。それで退職してから、あれもこれも面白そうと見始めたところ、週に7本、おまけに先日ラジオ番組にもちょうどよい時間帯のものをみつけたので、合わせて8本、週6時間になる。

今日は土曜の午後録画した「音楽理論の基礎」を見たが、内容は「西洋の旋法」だった。古代ギリシャ旋法のあたりは勉強した記憶がなかったが、教会旋法はなんとなく覚えている。ドリア、フリギア、リディア、ミクソリディアにそれぞれの頭にヒポとつく8つ。どれがどれなのか、までは覚えていなかったが、ピアノの鍵盤の白鍵をひとつずつずらして求められるという程度には覚えていた。

ところがこの番組を見る前、Dulcimer Players Newsの5月号にも旋法 Mode について2つの記事が掲載されていることに気づいた。それで番組を見ながら読んでみたのだが、少なくともドリア旋法については実感として理解できるようになった。特に
The Dorian Mode- The "Folk" Minor
というKaren Ashbrookによる記事のタイトルによるところが大きい。
このタイトルを読むだけで、ドリア旋法はフォーク・ミュージックの短調と思われている曲の中に多数存在すると想像される。

ドリア旋法はDEFGABCD、出だしは短調のようだが、短調はBがB♭になりCがC#になる。主音はDなので、D音で終止するのに調号なしで済むとしたら、それがドリア旋法だ。
DPNにはSwallowtail Jigの楽譜が掲載されていた。調号はシャープ2つのニ長調だが、主音はホ(E)音。

放送大学で例として挙げられたのはスカボロー・フェア。楽譜はA音から始まり、Fにシャープがついている。これもト長調の調号をつけてみればすぐにドリア旋法だとわかる。

判別がつかずに調号がついてない場合もあるかもしれないが、臨時記号が付く音が同じだったらそれを調号に変えてみる。そしてその調号の長調の主音より1音上の音が主音であれば、それはドリア旋法というわけだ。

昔は古い音楽にはあまり興味がなかった。それで理論は理論として理解はしても、実感がなかったため、きちんと記憶に残らなかった。これで音楽を専門に勉強したというのはちょっと恥ずかしい話だが、音楽世界も広いのだから仕方ないと言い訳しておこう。
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by yt-aoki | 2007-05-14 22:05 | 音楽 | Comments(0)

ジョルジュ・ド・ラ・トゥール

国立西洋美術館のポスターを見ただけで、何の予備知識もなく展覧会へ行った。JRの駅に張ってあったポスターは、「ダイヤのエースを持ついかさま師」という作品を用いたもので、描かれている人間の視線が気になるという程度だったのに、立ち止まって見ているうちに、なぜかこの展覧会には行かなければという気にさせられた。

出かけてみたら作品の中に「ヴィエル弾き」があった。ヴィエル、もっと通りの良い名前を使えば、ハーディーガーディー。ハーディーガーディは、ある時期下層民の持つ楽器とされていた。その後のある時期には、宮廷音楽家に注目された。そして20世紀が近づくにつれ忘れられ、20世紀の半ばから再び見直されるようになった。さまざまな地域にさまざまな名称と形態があるようで、一部の地域には演奏の伝統が残ったらしい。その扱われ方はダルシマーそっくりだ。ダルシマーもある時期、放浪する音楽家が用いたことで下層の人たちの楽器であったし、少し時代が下ると宮廷でも使われた。アメリカではピアノの流行と共に廃れたといわれ、1960年代のフォークブームで注目されるようになった。地域によって名称や形態が違うことも同じだ。ハーディーガーディーはハンガリーではテケルーというそうだ。ハンガリーのダルシマーはツィンバロムという。

作者ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593-1652)はフランスの画家、正確にはロレーヌ公国を中心に活動したというが、フランスのダルシマー(タンパノンあるいはサルテリヨン)についてはまだ調べてないので、そのあたりの地理も歴史も頭に入っていない。同時代のフランスのダルシマーについてのもっとも有名な記述はMarin Mersenneの"Harmonie universelle"(1636)の中にあるが、メルセンヌ以外にはあまり書いていないらしい。

西洋美術館の解説によれば、ヴィエルは15世紀以降のフランスではもっぱら「盲目の物乞いが哀れみをそそるために奏する楽器」とみなされ、16世紀の北方でも、ボスやブリューゲルが宗教的盲目への危険を諭す教訓的図像の中で、盲人を表す記号として用いたそうである。もしかしたらラ・トゥールが描いたヴィエルの近くにはダルシマーが存在したかもしれないのに、意味を与えられたヴィエルだけが描かれたのだろうか。

ヴィエルの近くにダルシマー、本気でそのようなことを考えているわけではない。ただ、ダルシマーの図像が少ないことを残念に思っているだけだ。
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by yt-aoki | 2005-03-23 00:12 | 音楽 | Comments(0)

高橋光さん

みつプロダクションの高橋さんに会った。多分亡くなる少し前の映像。
詳しい事情は知らないが、みつさんは2002年6月22日に55歳で亡くなった。そのみつさんに、数日前出会った。

放送大学の徳丸吉彦先生の講義(芸術文化政策 I)には関心をもっていたが、見るチャンスがなかった。それがちょっとしたきっかけから集中放送されていることを知り、たまたま時間が空いていたので見始め、見られない日には録画をするようになった。そして第10回、少数民族に関する芸術文化政策というテーマの日に、大阪大学の山口修先生とみつさんはゲストとして登場し、芸能を映像化するときの問題点などについて話していた。

実際のみつさんとの出会いは、25年以上も前にさかのぼる。私はまだ就職したての1年生だった。その日、何故みつさんが私の職場に来ていたのかも忘れたが、台風が近づいていて、昼食後には帰宅してよいということになった。遠距離通勤だった私達(といっても、他に誰がいたのか正確には覚えていないが)は、わけもわからず都心へ帰るみつさんの車に乗せられた。あの日のことはみつさんにとっても忘れられないことだったようだ。なぜなら、私達の職場の周りは排水が悪く、どこを通っても深い水溜りを通らなければならない。そのため彼は、ブレーキの利きが悪くなった車で、若い女性たちを送らなければならなくなったのだ。途中で同乗者は降りたのだが、私が利用する私鉄の駅は通らないため、私ひとりみつさんのオフィスまで行くことになり、台風一過の夕焼けの中を広尾から横浜の自宅へ帰った。

その後も音楽映像研究会に誘われ(私はすぐにやめてしまった)たり、仕事をお願いすることになったりと、時々お会いすることがあった。一度渋谷の西武デパートで偶然出会ったこともある。後で知ったことだが、みつさんは私の夫の、高校のクラブの先輩でもあった。また上司の友達であったため職場で電話を取り次ぐこともあり、上司が不在の時には近況を話したりもしていた。

ダルシマーを始めてまだ間もない頃、そうした電話でダルシマーのことを話す機会があった。さすがに民俗芸能の映像をたくさん撮ってきた人だけあって、すぐにどういう楽器かを理解し、その時だったかその後だったか、みつプロダクションで制作したシブクマール・シャルマというインドのダルシマー(サントゥール)奏者の映像があることを私に思い出させてくれた。「高橋光則(本名です)」と書いた年賀状をくださったこともあった。

ダルシマーに関わることはこの最後の1段落だけ。でも、みつさんのことは書いておきたかった。
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by yt-aoki | 2005-03-12 01:41 | 音楽 | Comments(0)