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ヨウキン

もう3年も前のことになるが、琉球御座楽(うざがく)の事を調べ、御座楽復元研究会、御座楽復元演奏研究会の方たちと交流し、日本打弦楽器協会で洋琴研究会を開催した。その結果、御座楽で使われた洋琴が、長崎に伝わった明清楽よりも古い時代に日本で演奏された打弦楽器である事を知った。1752年(宝暦2年)、琉球に尚穆王が即位したことを感謝する使節の時であったと考えられる。この頃の日本には、洋琴を使わない明楽が流行していて、清楽は伝わっていない。

幕末から明治期にかけて大流行したといわれる明清楽を調べていると、確かに清の時代の音楽である清楽に洋琴が使われたはずなのだが、打弦楽器らしからぬ図や写真がみつかる。いつかそのことを解明しなければと思い、打弦楽器ジャーナル(2004年4月)に書いた記事の中でも「稿を改めて報告したい」と書いたのに、なかなかそれに取り組むことができなかった。

ところが先日の日曜、おそらく19世紀前半の長崎で書かれたであろうある記録の中に、洋琴の図が発見されたと知らされた。音楽とは無関係な分野の研究者のところに持ち込まれた、未公開の文書である。それを聞いて火がついた。忘れかけていた年号や、名称、関連記事が掲載されていた資料名などを思い出している。

しかしそのためには、図や写真に見られる打弦楽器とは思えない別の楽器の知識がなければならない。

打弦楽器を調べ始めて痛感したこと。私が調べているのはこの楽器ですと説明するために、名前だけ同じでまったく違う楽器とどこが違うのかを説明するために、自分の専門ではないと切り捨てた楽器について知らなければならないということ。例えばアメリカのハンマー・ダルシマーを説明するためには、何故アメリカではダルシマーではなくハンマー・ダルシマーなのかを、アメリカでダルシマーと言った場合思い描かれるもうひとつの楽器のことを、説明できなければならないということ。

というわけで今私は、琴や筝や瑟を追いかけている。
by yt-aoki | 2005-07-29 00:06 | 歴史
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